最高裁判所第三小法廷 昭和54年(オ)771号 判決 1980年10月14日
上告人
吉田勲
右訴訟代理人
松浦武
外二名
被上告人
株式会社近畿相互銀行
右代表者
菊久池博
被上告人
株式会社三和銀行
右代表者
赤司俊雄
被上告人
株式会社百五銀行
右代表者
金丸吉生
被上告人
三重県信用農業協同組合連合会
右代表者
山羽幸助
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人松浦武、同畑村悦雄、同小林俊明の上告理由について
原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、被上告人らに本件手形の白地を補充する等の所論の義務があるとはいえないとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(横井大三 環昌一 伊藤正己 寺田治郎)
上告代理人松浦武、同畑村悦雄、同小林後明の上告理由
第一点 原判決は白地手形の取立委任契約の解約の解釈を誤つた違法がある。
一、原判決は被上告人近畿相互銀行が上告人より、本件為替手形を振出日白地で、取立委任を受けたものと認定している。
そして振出日白地の手形について右被上告人が取立委任を受けた際の委任契約には、同被上告人が白地の補充を上告人にうながすこと。
或いは同被上告人自身が補充することの委任があつたとは認めがたいとしている。
原判決が右のような結論をするに至つた理由として述べているところは、
① 本件手形が取立に回わされた昭和三八年ごろにおいて、各種金融機関に取立委任される確定日払いの手形には、振出日、受取人欄白地であるものが多数あつたが、金融機関は手形所持人に白地の補充を促したり、自ら補充したりすること(窓口事務処理上実施困難でもあつた)なく取立に回すのが慣習であつたこと。
② 手形交換所の定めによつて、確定日払の手形の振出日、受取人欄が白地であることは「形式的不備」に該当しないとされ、金融機関は顧客との約定に基づき、右の如き手形に対する支払いをしていたこと、したがつて、このような取扱によつて、手形取立委任者としても、一般商取引における本来の取立目的を達成しうること。
の二つを理由としてあげている。
二、しかしながら、裏書人のある手形について、銀行に対し取立委任するものの立場からすれば、その目的は勿論第一には当該手形により支払を受けることであるが、第二には若し不渡りになつた場合には裏書人に対する遡求権が保存されることを求めているものであることはみやすいことである。
即ち委任者の委任の趣旨として不渡になつた場合に裏書人に対する遡求権が喪失しても何なりとする趣旨は通常あり得ないことであり、これは常識的にも理解されることといわねばならない。委任は性質上、委任者の利益を目的とするものであり、委任者の委任の趣旨が前記のとおりである以上、裏書人のある手形については、取立委任の本旨として当然、受任者たる銀行は白地手形について、委任者に補充を促すか、あるいは自ら補充して完全な手形としたうえ、呈示をして委任者の裏書人に対する遡求権を保全する処置を講ずべきであり、このことは少なくとも、裏書人のある場合の取立委任にあつては、委任の内容の一部をなすものである。
三、原判決は前述したように、振出日、受取人欄白地の手形について、白地の補充を促したり、自ら補充したりすることなく取立に回すのが慣習であつたとしているが、委任者の委任の趣旨として、不渡りになつた場合に裏書人に対する遡求権を喪失してもよいとするものは通常あり得ないのであるから、たとえ、原判決のいうような事実があつたとしても銀行に白地の補充を促す義務はないし自ら補充する義務が取立委任の本旨のなかに含まれないとする意思解釈は成立しないと考えるべきである。
また原判決は前述したようにもう一つの理由として手形交換所の定めによつて振出日、受取人欄の白地であることは「形式的不備」に該当せず支払を受けられるから、手形取立委任者としても一般商取引における本来の取立目的を達成しうることを挙げているが、裏書人のある手形の取立委任者は、資金不足または、その他の理由により不渡になつた場合に遡求権を喪失しないようにすることも当然委任の目的としているものであるから、支払資金があり、かつ支払について問題がないとして取立目的が達成できる場合があるとしてもこれをもつて不渡りがあつた場合の遡求権を保全しなくてもよいとする理由にはなり得ないものといわねばならない。
四、以上のとおり、裏書人のある白地手形の取立委任にあつては、たとえ振出日、受取人欄の白地の場合でも、取立委任者の委任の本旨は、不渡があつた場合に遡求権が行使できるように完全な手形として呈示することを求めているものというべきである(註一)。従つて取立委任について、受任者たる銀行は右委任の本旨に従い、委任者に対し、白地の補充を促すか、あるいは、自ら補充する義務があるものといわねばならない。そしてこの委任の本旨は、性格上、取立委任が有償であるか無償であるかによつて左右されるべきものではないはずである。
原判決は本件取立委任の本旨につき解釈をあやまり、白地の補充について右のような義務は存在しないとするものであつて、法律上の義務の存否についての誤まりをおかしているものであり、これは判決に影響を及ぼすこと明らかな違法であるから原判決は破棄されるべきである。
註一、(イ) 河本一郎著約束手形法入門(第三版)有斐閣双書一九二頁一五行目以下
「なお手形が白地手形である場合、ことに最近のように振出日白地の手形をそのまま銀行が取立のために裏書を受けた場合に銀行は白地を補充する権限および義務があるか。銀行が依頼人に対して振出日の補充を求めずに黙つて取立を引受けた以上は、白地補充の委任をも黙示的に受けたものとみるべきかどうか。振出日の補充といつても、適当な日を書きこめばよいのであるから、どう補充するかについてむつかしいことはない。他方、もし手形に裏書人がいた場合には、補充しないで呈示したのでは、取立依頼人が遡求権を失うおそれがある。こういうことを考えると振出日の補充を受任者としての銀行の義務だと考えてもそれほど酷ではない。」
(ロ) 右同旨。並木俊守著実践手形小切手法大成出版社刊二七八頁以下(甲第八号証の一)
(ハ) 右同旨。服部栄三、加藤勝郎、柴崎純之介責任編集、新銀行実務法律講座第二巻内国為替、株式会社銀行研修社刊三七五頁以下(甲第九号証の一)
(ニ) 本件事件后において、金融機関の当座勘定規定ひな型、及び取立規定ひな型では自地補充義務を負わないことを明示的に定めるようになつた(前掲河本一郎約束手形法入門一九三頁六行目以下参照)。
しかしながら、社会的には手形取立の受任は、事実上、金融機関が独占的、専門的に行つており、手形取立委任者は一般的に知識的にも組織的にもこれら金融機関に比して劣るものであり、白地のチェックは専門家である金融機関にとつて容易なことであることからして、前記の金融機関が白地の補充義務を負わないとする約款等は優越的地位の濫用ともいうべく社会的に不当であり、少なくとも例文として効力を認めるべきではないと思われる。又、右約款等においても白地を金融機関自ら補充しないことにとどまり委任者に補充を促す義務については免責の定めはないから右約款等が定められた後でも委任者に補充を促す義務は存在するといわねばならない。なお、本件事件当時には右に述べた約款自体も存在しなかつたものである。
第二点 原判決は、白地手形の取立、委任契約における善管注意義務について、解釈を誤つた違法がある。
一、原判決は、本件白地手形の取立委任において、善管注意義務の一部としても、上告人に、本件手形の白地の補充を促すこと、あるいは、受任者において、自ら補充する義務はないと述べるものである。
二、しかしながら、白地手形は、それが振出日、又は受取人欄の白地の場合であつても、補充せずに呈示することは、適法な呈示に当らず、従つて、裏書人のある手形においては、遡求権を喪失するに至ることは、最高裁の判例とされており(注一)、専門家である銀行はこのことは充分知悉していたことであり、少なくとも、職務上知るべきことに属することである。そして、裏書人のある手形においては、一般的に取立委任者は、不渡りの場合に遡求権を保存しておきたいと考えていることは、論をまたない処であり、遡求権を喪失することは、委任者の不利益であるこというまでもないことであつて、受任者たる銀行はこれらのことは常識的に理解できることであるから、特段の事情のないかぎり、受任者は、委任者が遡求権を喪失しないよう手続をする善管注意義務があると解すべきである。即ち、これを敷衍すれば、受任者たる銀行は、手形の取立、呈示に関しては、これを業として行つている専門家であること、白地を補充して呈示しなければ、裏書人に対する遡求権を喪失することについて、知り得る立場にあること、委任者は、一般的に不渡りになつた場合には、遡求権を保存しておきたいと考えていることは、容易に銀行として理解できるものであること、白地の補充を委任者に促すことは、委任を受けた際でも又、電話一本でもなし得るものであること、また自から、補充することも専門家である銀行にとつて容易であること、などからして、右の善管注意義務は、認められるべきである。
三、本件において、取立委任は、無償であつたとされているが、かりにそうであつたとしても銀行は営業上顧客誘引のために行つているものであつて、一般的に企業における営業上の行為は、何らかの営業目的(利益行為)をもつて、なされているものとみるべきであるから、形式的に無償行為であるからとして、これをもつて講学上の無償の行為と考えるのは、速断にすぎるものといわねばならない。のみならず、本来委任は、有償、無償にかかわらず委任者の利益のために誠実に委任事務を行うべきものであるからたとえ無償であつたとしても、前述の善管注意義務は存するものといわねばならない。特に銀行は、手形の取立の受任について、社会的信頼の厚い専門家であることからしても前述の善管注意義務が存するとしなければならない。
四、原判決は、裏書人のある本件振出日白地の手形に関する取立委任について銀行である受任者の善管注意義務の解釈をあやまり委任者に白地の補充を促したり、あるいは自ら補充するような善管注意義務はないとするものであつて、この法律の解釈の誤まりの違法は、判決に影響すること明らかであるから、原判決は、破棄せらるべきである。
註一、(イ) 受取人白地の手形につき。
最高裁昭和三三年三月七日第二小法廷判決。
最高民集十二巻三号五一一頁以下。
(ロ) 振出日白地の手形につき。
最高裁 昭和四一年一〇月一三日第一小法廷判決。
最高民集二〇巻、八号一六三二頁以下。